新米はうまいのだ
女房の、茨城の甥夫婦が、孫ふたりを連れ、新米を持ってきてくれた。去年はセシューム問題があり、買うことができなかったらしい。
何かほっとする気持ちになり、早速食膳に供した。
やはりうまいのである。食が進むのである。当方は田舎育ちだから、梅干一個あれば、豊葦原瑞穂の国の幸いを実感する。
横光利一が疎開していたとき、もう戦後の秋のことだが、新米の収穫がすんで、農家では新米の季節。その農家の息子が新米二升を一人で食べてしまい、親父さんに怒鳴られるところがある。新米はうまいのだ。
甥の新米は近隣の農家のものらしいが、ふとわが故郷群馬を思う。あそこでも新米・早場米と言う言葉があるのか。昔は麦を刈り、それから田植えの準備が始まった。