シベリヤの帰還命令

 千葉テレビの見学に行ったとき、隣席に座っていた男性から「極寒の強制使役にたえて」という小冊子をもらった、と友人がいう。関東軍119師団小原春光上等兵の戦い、というサブタイトルがつく。
 シベリア抑留は師団の生き残りの200人が捕虜となってチチハルに集結させられ、1班45人で有蓋貨車に載せられ、鍵をかけられる。夜が明けると、原野に止まる。用便に走る。ここで貨車ごとに10キログラムの小麦粉が配られ、水を汲むバケツと小麦粉をねるのである。夜になって駅を離れる。
 捕虜の仕事は、山の木の伐採と、道路工事、それに建築作業。
粗末な食事だった。粟の雑炊とスープ。スープは動物の内臓を塩漬けしたものを刻んで入れただけ。
 そのひとつだが、主人公は重さ15キロのレンガの積み上げ作業で墜落する。ひざ関節をくじき動けなくなる。
やがて、負傷者野帰還命令が出る。昭和22年1月8日、佐世保に着く。
 戦後70年、さまざまな体験を読んだり、聞いたりした。中学の同級生は予科練入ったが、飛ぶことなく戻ってきた。
 遠い70年になってきた。