セミちょうだい

セミが飛んでくる。というより空中から飛び降りてくる。ビューン。あっと思ったら私の肩にぶつかって、ベンチの下に転がり落ちた。さっとつかまえ、となりでかき氷を食べている男の子にさしだしたんだよ。

ところが男の子は「キャッ」といって、私に背を向けちゃう。おかあさんが、うちわで男の子の頭をポンポンとたたいて、私のほうを向かせようとしたけれどだめ。ときどき町内で見かけるおかあさんだ。

セミをつかまえたい、子供たちはだれでもそうだと思っていたのになあ。わるいことをしたかな。そのあいだにも、セミは何匹もビューン。かわいいゆかたを着て、かき氷を食べている女の子たちにもぶつかるので、みんなかき氷の紙コップを抱(かか)えこんでいる。

町会の夏祭りの夜のことなんだ。この夏祭りに君も喜んできてくれたのに、今年は学校がいそがしいんだってね。

セミは木の葉の中でねていた。それなのに、その真下で明るい提灯(ちょうちん)がいっぱいぶら下がり、拡声器がドカーンと音楽を流し、人々が輪を作って踊り始めたんだからねているどころではないんだね。

ことしはセミが多い。私の家の庭にもセミが出てきた穴が二つ、茶色でカラッとした透明な抜け殻(がら)は、マンリョウの葉裏にしがみついているよ。そのセミたちが、楽しそうな夏 祭りを見にきた、といえば面白そう。でもビューンと飛んで来て体当たり、地面にころがり落ちるんだからどんなもんかな。 そしてつかまえられちゃうんだ。

ときどき羽根をブルッとふるわせているセミをどうしようかな、私は困ったよ。 はなせばまた、明かりめがけて飛んでくるよ、とにかくもうねむれないんだから…。

そのときになって、男の子がそっと手を差し出したのには気がつかなかったんだよ。

 

五センチぐらいのちっちゃいトカゲが二匹いることは、パソコンのメールで知らせたよね。このまえ来たときに、私がシッポを持って君に渡したら、こわごわぶらさげたトカゲの子供たちさ。

きょうも芝ののびたところで、チョロチョロはい回っていた。だから分譲地のわが家にはトカゲとセミがいっしょに住んでいるわけ。スズメも来るよ、ヒヨドリやキジバトもマンリョウの赤い実を食べに来るけどね、いつもまわりに注意していて落ち着かないお客さんだよ。

それに比べると・・・。

ちょっと大きくなりすぎたモクセイの木のとなりに、クチナシがあるだろう。 一本だけなのに、左右に枝が広がってくれたから二、三本に見える。このクチナシの若葉がどんどん出て、純白の花が咲き、花の香りが立ちこめるころになると、ダンゴバチを大きくしたようなオオスカシバが飛んで来て卵を生む。

スカシバというんだから、透きとおった羽というんだね。なるほど振動していて羽は見えないけれど、体の半分が緑色、下の方は黄色をしてるんだ。蛾の一種だと聞いたけれども、初めて見ると、捕まえて標本にしたいようにきれいでかわいいんだよ。そのオオスカシバが飛んで来て、飛びながらヒョイヒョイと腰を揺らし、卵を生みつけるんだ。

何日もたたないのに、クチナシの若葉はみんな食べられて丸坊主、葉のない小枝ばかりのあわれさ。気の毒(どく)。

クチナシの木の下は黒い糞(ふん)だらけ。あわててさがすと、大きく肥え、葉っぱと同じ緑色のアオムシがかくれているんだよ。 オオスカシバの幼虫のアオムシ。この珍客の、なんと堂々としていることか。感心しちゃうよ。キョトキョトしたヒヨドリやキジバトとは比較にならないお客さんといってもいいだろうな。お客さんである以上、待遇(たいぐう)しなければならないけれど、さてどうする。どうしてやるか。

そんな私などにかまわず、またのびはじめた若葉めがけて、オオスカシバは、せっせと卵を生みに飛んで来る。どうしよう。

 

セミが鳴く、オオスカシバの幼虫アオムシは、緑色の若葉を食べて緑色、トカゲはチョロチョロ動き回る…。こういうのを、「すべて世は事も無し」とうたったイギリスの詩人がいるよ。せめて私も俳句のひとつ、と思って庭でぼんやりしていたら、男の子の声が飛んで来た。

「おじさん、セミちょうだい」

俳句の世界はパッと姿を消したね。見ると、あの男の子。夏祭りの夜、セミをあげようとだしたら背を向けた子さ。子犬を抱(だ)いている。

「おや、かわいい犬だね」

「うん、さんぽしてるの、いま」

「抱いてちゃあ、散歩になんないな。 歩かせなくちゃあダメだよ」

「あるくのかわいそうだから、ぼくがダッコしてさんぽだよ」

へんな理屈(りくつ)だよね、でも納得(なっとく)できるね。

「子犬は歩いて、それでからだがじょうぶになり、大きくなるんだよ」

「やっぱりそうか、おかあさんもそういう」

道におかあさんがいた。困ったような顔をして頭を下げた。

「これからは、いっしょにあるくよ。だからセミちょうだい」

そういわれたって、うまいぐあいにセミがいるはずがないよ。私は、ふと思いついて、オオスカシバの太った幼虫のアオムシを見せることにしたんだ。男の子はギョッとするかも、おかあさんは、こわがっていやがるかな。

それが反対だったんだ。私が葉っぱをよけてアオムシを探し出したら、男の子はジッとのぞきこんでいる。アオムシは観察されて恥ずかしいんだな、ノソリと動く。緑のかたまり全体がノソリ。男の子にとっては生まれて初めて見た異形(いぎょう)の生き物だろうね。

「なに、これ。 おかあさん来てよ、見て」

呼ばれておかあさんは、私にあいさつしようとするけれど、男の子は手を引っぱる。

「ほら、セミのおじさんは、こういう虫も飼ってるんだって」

おかあさんもこわがらなかったね。えらい。ここでこわがったら、男の子は一生、虫をこわがり、きらいになる。君も、ここんとこが大切だよ。でも、トカゲをぶらさげられたものね。トカゲには気の毒だったけど。

「オオスカシバという虫の子供でね。このクチナシの葉っぱだけ食べて育つんだよ。だからクチナシは、こんなに食べられちゃって丸坊主。親虫が飛んできて、卵を生んで、それがこんなアオムシになっちゃう。 親虫は一生懸命にクチナシの木を探して、卵を生みに何回も飛んで来るんだよ。おじさんが飼ってるんじゃないよ」

男の子はうなずいていた。

「これほしいな」

うなずいていたけれど、そういってクチナシの葉っぱをゆすった。これには私もビックリ。おかあさんはもっと驚いただろうね。

男の子は、セミの抜け殻を持って帰ったけど、なんとか納得したんだろうね。

それから、私は決心したんだよ。 ゆうゆうと枝にくっついている三匹のアオムシを、枝ごと切って裏の駐車場にすてたんだ。クチナシの木を守るために。

かわいそうと思うだろう。真夏の日差しはすごいし、葉っぱはすぐなくなる。こういう場合、虫の好きな人たちはどうするのか。東南アジアまで行って、チョウチョウをとってくる人もいるよね。かわいそうとは思ってるんだろうけど・・・。

足もとをチョロチョロ、あのトカゲが動いていたよ。 トカゲよ、よかったな。うちの孫娘にぶらさげられることはあっても、無事に育っているし…。

 

ところがつぎの日、あの男の子が虫かごを持って、どうしてもアオムシを飼うんだと、 また来たんだよ。 すてちゃったともいえないし、見せることもできない。困ったな。

「クチナシの葉っぱも取ってきたんだよ」

虫かごには葉っぱがつめられていた。男の子はアオムシを探(さが)し始めたよ。

あの幼虫は、すてられずに育っていれば、クチナシの木の中で、蛹(さなぎ)となって越冬する。成虫になって飛び回るのは、たぶん来年なんだろう。セミの幼虫は地中にもぐって五年、成虫になって飛び回るのは、たった二、三週間。虫の世界もいろいろだね。さて、探し疲れたら、男の子になんというか。

私は二度目の決心をしたよ。

「ああ、あのアオムシは、クチナシの葉っぱをいっぱい食べてね、羽が生えて飛んで行っちゃったんだよ」

私は目をつむって、空を向いて、そういったんだ。断腸(だんちょう)の思いって、このことだね。

「えっ、ほんと。そんならセミといっしょに空を飛んでるんだね。いいなあ」

私は、快活な声にほっとしたよ。

男の子を追いかけて、おかあさんが来た。

「セミといっしょに、空を飛んでるんだって」

オオスカシバやセミは、卵を生みっぱなしにされ、ひとりで育ってゆく。男の子は、いつもおかあさんの愛情で包まれっぱなし。君だって同じ、いつもおかあさんが心配しているよ。セミなんかとちがうんだね。どうしてかな。

「これあげるよ」

男の子は、叫ぶようにいいながら、かごの中の葉っぱを、みんなクチナシの木に振りかけていたよ。

(おわり)

 


このお話は、たぶん30年以上前に初孫に書いたお話のようです。

どうやらそのころはワープロを使っていたようで、パソコンをさがしても原稿がみつからず、いよいよ手入力か、とあきらめていたのですが、

ChatGPTで何でもできる今日この頃、このくらい簡単にテキストに起こせないものかと探し回って、スマホで移した写真をGoogleレンズで簡単にテキストにしてくれる機能に行きつきました。

ただ、縦書きの文章を(無料で)テキストにできるのは、まだGoogleくらいのようです。

それ以外はもうちょっと時間がかかるのかな。

(娘)