観音寺にお遍路さん1000人
5月の連休の始まった3日、観音寺には同行2人と書かれた袋を肩に掛け、南無大師遍照金剛の白衣を着た1000人近いお遍路さんが集まった。正午前には法螺貝(ほらがい)を吹き鳴らし、お大師様の入った厨子を背負った人を中心にした本隊が到着、大師像のある札所の前で般若心経を2回、さらに観音堂の前でも唱和。おりからボタン満開の全山は信仰の熱気に包まれた。
逆井地区の講の人たちは、朝から800人分の昼食や飲み物を用意し、地区別に境内のあちらこちらにシートを敷き、場所を作って待っていた。それがあっという間に満員となった。 ときならぬにぎわいにボタン見物の一般客が入り込むすきもない。
観音寺に集合したのは南相馬送り大師、いまでは東葛・印旛大師組合という弘法大師信仰の講の人たち。手賀沼南岸の柏市・沼南町・白井町・鎌ヶ谷市・松戸市の3市2町に配置された写し札所の85キロを5月1日から5日の間に踏破するもので、観音寺は3日の昼食場所になっていた。ことしは沼南の泉地区が結願所(けちがんしょ)で、泉地区の人たちが、八十八か所を回って5日に戻る。結願区は32か所あり30年に1度は結願区となる。逆井地区が結願区になったのは明治36年、昭和6、36年、平成6年だそうだ。
札所は沼南が51か所もあり、柏の16が続いている。観音寺は69番、「観音の大悲のちから強ければ重き罪をもひきあげてたべ」というご詠歌がかかげられている。浅間神社近くにある弁財天の祠は48番となっている。