一合五勺の味醂代、六銭なり
時代をぐっと遡って明治30年、当世きっての紀行文書きの大町桂月が、筑波山から流山に降りてくる。
「ここは味醂の名所なれば、酒店に腰かけて、余は一合飲み、沢田子は五勺飲む、この代六銭なり。松戸に来たりし時、正午に近し。沢田子二銭の芋を買うて午食に充つ。」
桂月は芋が嫌いなので、駄菓子を二銭買った、と続く。駄菓子二銭の昼食では耐えられず寿司屋に入っている。あけっぴろげなお人柄に見える。とても、与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」に反論した人とは思えない。
つくばエキスプレス開通記念に、その流山村いや流山市の博物館で、「醸造のまち、流山」という企画展を開いている。酒、みりん、醤油、味噌の発展・由来などが展示されている。桂月先生の紀行文もあらんかと見学に行った。なし。
江戸川開削、江戸という大消費地を控え、享保年間(1716-36)に味醂は作り始められたらしい。糯米に焼酎や麹を混和してつくり、甘いので飲料として人気があったという。
社会科の勉強をして来た。家にある味醂を飲んでみようかな、実験1。