田んぼに落ちた親子焼夷弾

 北関東の田植えは遅い。二毛作だから麦刈りが終わって、7月になる。旧制中学の3年生は、二人ずつ農家に農繁期の2ヶ月間も泊り込み、勤労奉仕という名の農作業に従事した。
 ある晩、豪雨のような音を立てて親子焼夷弾が落とされた。B29が残ったものを帰りがけに落としていったらしい。納屋が燃えた。大半は田んぼに落ちた。突き刺さっていたのが六角形の、緑色?の焼夷弾、直径2メートル?ほどをみごとに焦がしていた。
 戦後60年、その六角形の実物を見た。我孫子市市民会館の「戦争を知らない子どもたちへfromあびこ」という戦争資料展。長さ60センチ、太さ10センチほど。さび付いていた。緑色というのは稲苗の記憶だったか。M69集束焼夷弾といい、投下直後に38発になって、ばら撒かれるという。市街地では、これで大被害を受けた。
 この焼夷弾落下で、勤労奉仕は中止となり,間もなく終戦となる。牛を使って田んぼを耕起するなどの古典的農作業の記憶だけは生きている。きょう終戦60年。