死体のりんが燃えていた


 ピカッと光ったので床下に逃げ込んだ。すごい爆風が来た。しばらくして這い出すと、家がない。ただ柱だけが残っていた。
 12歳の小学生。夏休みだった。母と弟は、町会の人たちと防空壕掘りに出ていた。木登りしていた弟は、もろに放射能を浴びた。母は妊娠中だった。夜になって出征していた父が休暇が出て帰ってきた。
 島原に疎開していた祖父母のところへ行くことになった。リヤカーに弟や母、それに荷物を積み込んで出発した。爆心地の真ん中を通る。川には死体が浮き、爆心地では死体のりんがぽっぽと燃えていた。24時間かかって島原に着く。死体の匂いが染み付いていた。

 柏市では、今年も平和展を8月17-20日に手賀の丘公園にある「どんぐりの家」で開く。国際交流室では3日、平和展を構成する3グループに呼びかけ交流会を開いた。「平和語り部の会」「柏和会=柏市原爆被爆者の会」「柏麦わらぼうしの会=朗読劇・この子たちの夏 上演グループ」から15名が参加した。
 上記の12歳の小学生は、長崎原爆の被爆者で、柏和会のメンバーである囲照子さんの語られた、ほんの一部である。囲さんは、61年を経た現在、語り部として活躍され、「麦わらぼうしの会」の8月20日の公演(アミュゼ柏)にも参加される。

前の記事

知的なのに世渡り下手

次の記事

生あるうちに楽しもう