吉宗が鹿狩りに来た
15メートルの御立場を作り観覧・指揮
新京成の五香駅から松飛台行きのバスに乗ると、すぐ御立場(おたつば)という停留所がある。お立ち場とはなにか。その近くにある五香公園には、隅に御立場の記念碑が建っている。
享保10年3月(1725)、ここに高さ15メートルの塚を築き、二間四方の御殿を作り、八代将軍吉宗を迎え、お鹿狩り(おししがり)が行われたという。吉宗は、午前1時に江戸城を出発、松戸で朝食をとり、8時に現地に到着。すでに騎馬500、歩行2000の武士が勢ぞろいして待っていた。
御立場とは、狩猟好きな吉宗が鹿狩りをした観覧所ということになる。左右に網を張り、ここに追い込まれた獲物を槍で突き、弓で仕留めた。図は、明治期になって描かれた御立場の絵図で、松戸市立博物館蔵である。
当時の柏、松戸、船橋、千葉市に及ぶ原野は、小金牧(こがねまき)という幕府直轄の軍馬生産の牧場で、野馬が駆け、鹿や猪が生息していた。この内外に村が点在していた。農民にはいろいろな制約や徴発があった。
小金牧跡いまも残る野馬除土手
牧と村・農作地を区切るのが野馬除土手、いまでもあちこちに残っている。
小金牧は、明治2年になって困窮士族のための入植・開墾が始まる。まず鎌ヶ谷の初富、船橋の二和と三咲、柏豊四季、松戸の五香・六実、最後が柏の十余二、成田の十余三。
しかし、大草原の開墾は困難を極める。開墾会社は衣食住を保証、一人五反歩を与えたが、見切りをつける者があとを絶たなかったという。