なぜか気になる吾亦紅
吾亦紅が花屋に並ぶ季節。買ってきてしみじみ眺めている。田舎育ちだが、山野に自生するのを見たことがない。
そもそもは牧水の歌である。
吾木香すすきかるかや秋くさのさびしききはみ君におくらむ
寂しききわみが、ワレモコウとして定着した。青春のあるとき。
しみじみと眺めるのは、暗紅紫色の無弁花だけだからである。「葉は奇数羽状複葉」という、そのはっぱがないことである。花屋には付いてくるのだろうか。みんな栽培種だから、それに生け花にしてもはっぱまでは使わないのだろう。
此秋も吾亦紅よと見て過ぎぬ
浅間越す人より高し吾亦紅
歳時記で森澄雄は、寂しいが野趣ありという。人より高くては、生け花にすればちょん切られてしまうし、花屋も困るだろう。やはり花だけというのは気の毒である。だからしみじみと眺めることになる。