六地蔵考証


 柏・流山・野田を、利根運河お大師まいりの一行と歩いているうちに、六地蔵の存在が気になってきた。ねんごろに屋根つきの祠にどっしりと並んでいるところが多いけれど、同じ六地蔵なのに、雨ざらしで無縁仏のように放置されているのも目立つ。それに放置されているのは背面が石のままの浮き彫りが多い。全身像で放置されたものに遇ったことがない。全身像は比較的新しいものだからか。写真を眺めていると、不思議な思いに捕らわれる。あてにならない考証である。

弥勒仏が現れるまでの56億7千万年間の衆生を守る



 江戸や京都の六地蔵めぐりというのは、お寺に一体ずつがあり、それを七福神のように参拝する。それを一か所に集めたのが、ここでいう六地蔵である。
 お釈迦様が亡くなって未来仏の弥勒菩薩が現れるまでの五十六億七千万年の間を、われわれ衆生を守ってくれるというのが地蔵菩薩である。それだけに、身近な仏様で、子どもの守り本尊とも言われている。
 人間は六道を輪廻転生、つまり迷いの生死を繰り返す。その繰り返す場所が六道、地獄道・餓鬼道・畜生道・阿修羅道・人間道・天道である。その六道に六体の地蔵が立ち、礼拝の対象になった。
 どこに生まれ変わるか分からないから、六道を一度に拝んでしまう、というわけである。
 路傍に立たれる地蔵(イラスト)は、右端の地獄道である。地獄行きの人が多いということか。右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を持つ。