寂し楽し田の神

村ごとに田植→収穫を祈る「田の神」信仰があった。神殿はなく、山の神が春になると里に下って、田の神になり、稲田の生育を見守って秋には再び山に帰る、という全国的な信仰である。神には姿はない。

稲の生育を見守って森に帰った

田の神

ところが、写真のようにお杓文字と茶碗を持った田の神様が三体も身近におられたのである。柏市役所近く、呼塚交差点の角、市立砂川美術工藝館の植え込みのなかである。

姿を見せないはずの田の神が、春夏秋冬の市民の来館者を見守ってくれていた、ということになる。市民のご先祖は、過去も現在も、稲の生育が気になる農耕民族の後裔なのだからだろうか。田の神が神出鬼没するはずがない。

この工芸館の田の神様は、18世紀初めに始まった薩摩藩独特の、田の神石像を刻み豊作を祈願した南九州から、たぶん砂川七郎氏が請来したものだろう。

石像になった神もいた

一方、下のド派手な田の神は、宮崎県えびの市のもの。農民型、神官型、自然石、地蔵型の4タイプがあり、「たのかんさあ」と呼ぶ。市内には150体あり、町おこしのために、新しく作られたのもあり、カラー化粧した田の神があちこちの田んぼの脇に建てられているという。「おっとい」と言って、豊作田の田の神は盗まれたりする(あとで返す)。

さて、タイトルの「寂し楽し田の神」は、なぜ「寂し」か、それは工藝美術館が平成17年の、「芹沢銈介の肉筆」展を最後に、市の経費問題のために閉館になるらしいからである。砂川氏が芹沢銈介の作品を蒐集して始められた美術館だったが、田の神にも会えなくなりそうである。

回り田の神

町おこしのためカラーフルな田の神が並ぶえびの市

「回り田の神」と言って農家を次々に回って豊作を祈願するという。田の神に化粧し、ご馳走し、床の間に飾ることも。鹿児島では新婚の家に引越しする「田の神戻し」という風習もある。