なめあふ恋とあなどりぬ

 新聞の「俳句時評」を読んでいたら、
   
    はったいをなめあふ恋とあなどりぬ(春山他石)

という句が出てきた。「はったい」は読みがなで、麦へんに少と言う字がでている。とりあえずこのパソコンでは麦へんは4字しか出てこない。
 はったいとは、むぎこがしである。

   むぎこがしをなめあふ恋とあなどりぬ

と翻訳して読んだ。なるほど、恋はいつの間にか深みに落ち込む。
 それにしても、麦こがしはなつかしい。新麦を炒って石臼で粉にし、砂糖を入れる。子供は大喜びである。水や湯を入れた記憶はない。
 同じ田舎育ちの女房にも記憶はあった。あの香ばしさ。米と麦の二毛作地帯だった。

 何分か、いやもっと経ってからだろう。女房がそばがきを作った。なんというタイミングのよさ。暑熱続きに絶好。うまい、懐かしい。生協のメニューから買ったと言う。
 ただし、はったいは夏の季語、そばがきは冬の季語。俳人は、鮮やかに使い分けるのだろうか。