8月は悲しい月 広島原爆6日、長崎9日
真っ白いご飯を食べさせたかった

 柏・麦わらぼうしの会の朗読から一編
 新谷君江さんの手記

勝司ちゃん、あなたが生まれて2週間後に支那事変が始まり、そして8月6日から10日後に終戦。戦争の間、あなたは生を受けていたのね。人間らしい楽しい生活も知らないままに。あなたがもの心ついたごろから、夜は灯火管制で暗闇の生活。食べ物は大豆ごはんや糠のまじったおだんご。あなたは大豆ごはんが大嫌いだった。

8月6日のその朝も、おかあさんは仕方なく大豆ごはんを炊きました。嫌いといったあなたは、おかあさんから叱られて涙をいっぱい浮べて食べました。そして学校へ行ったのね。ランドセルを背負って、「行って来ます。」これが最後のことばでした。あなたはそのまま二度とおかあさんのもとへは帰って来なかったの。

あのとき、なぜ叱ったのだろうと、20数年たった今も心に残ってしかたがないの。

あなたはどこで死んだの。火に包まれながら、おかあさん、おかあさんと泣き叫んだのではないかしら。全身火傷をおいながら、苦しい息の下から、おかあさん水を、おかあさん水をといいながら、息が絶えたのではないかしら。どんな姿になってもいい、不具者になってもいい、もう一度おかあさんのところへ帰って来てちょうだい。そしたらこの胸にしっかり抱きしめて、そして真白いごはんを腹いっぱい食べさせてあげたいの。これがおかあさんの切なる願いです。

 

原爆・戦争体験を伝える柏市の平和3団体 
①柏市原爆被爆者の会・柏和会(はくわかい)
②被曝の悲劇を伝え、朗読劇で訴える柏・麦わらぼうしの会
③戦地の体験を語る語り部の会。
①②は年間10回ほど学校公演を行っている。