燃え続ける原爆の火

爆心地の火を持ち帰り、やがて上野東照宮にも分火

原爆の火

上野東照宮の、石灯籠を抜け、50基もの銅灯籠が出現する右側の一隅に、原爆の火が燃え続けている。ハトの体内で赤々と燃えている火を、懸念の思いで見つめる参詣人が多い。

山本達夫さんという方が、広島県呉市の陸軍駐屯地から広島市に移動中の8月6日、爆音を聞く。復員して、爆心地の叔父宅の防空壕でくすぶり続けていた原爆の残り火を発見し、持ち帰る。郷里の福岡県星野村に火は移され、村が建てた平和の塔で燃え続けた。

「上野下町人間の集い」の提案で、「東照宮境内に広島・長崎の火を灯す会」が募金によってモニュメントを作り、平成2年に点火された。

二十世紀からの伝言 百年後の人びとよー

ハトの下に、「核兵器をなくし/永遠に平和を誓う/広島・長崎の火」とある。右隣には、「二十世紀からの伝言 百年後の人びとよー」という手紙が埋蔵された小さい碑がある。

当時の東照宮嵯峨敞全宮司が、下町の人々の心意気を買って境内の建立を許可された。続いて茅野市、鎌倉大船観音、豊橋市桜丘高校、ウエリントン植物園、鳴門霊山寺などにも分火されている。

山本さんの郷里、星野村は、「宇宙(そら)に続く棚田と、満天の星」を誇る人口3500ほどの村。平和の塔に火は燃えている。山本さんは原爆症に苦しみ、平成16年5月に前立腺がんで死去。

前の記事

夜の訪問者