今や美術品染付古便器
どこだったのか。少年の日、写真のような便器を使った、かすかな記憶がある。これは染付古便器と言い、粋(いき)な芸術品とされている。常滑市にあるINAXライブミュージアムで「染付古便器の粋・清らかさの考察」という企画展が開かれていた。
小判型大便器(瀬戸) 菊と槿(むくげ)。明治後期。高さ29.3センチ、長径53.2センチ、短径26.6センチ。 使用者が見ることのできない、金隠しの外側にまで描きこまれている。この形の便器は横向きに置かれることが多く、金隠しを入り口側に向けて置くこともあったという。
陶器から磁器へ 衛生観念の向上で普及も
古便器とは水洗式以前のトイレ用に作られた便器のこと。明治24年、愛知と岐阜で起きた濃尾大地震から、木製便器を模した陶器の便器が大量に作られるようになる。陶器の素地(きじ)を白い泥で覆い、青に発色する呉須(ごす=コバルト)で花鳥を描く。
磁器製の生産も瀬戸で始まる。角型を脱し、小判型、金隠しも半円型になる。陶器に比べ吸水性もなく、衛生観念の向上とともに人気が高まる。大正12年の関東大地震で磁器製品の最盛期を迎える。
明治の末に山形市平清水で陶石を細かく粉砕して焼いた角型便器が作られ、吸水性が少なく、東北地方に流通している。
染付古便器を326点も収集した人がいる。古流松應会と言う生け花の副家元さん。水洗便所しか知らない世代だそうで、美しい絵付けに感動したらしい。今は庭に置いたり倉庫まで作ってびっしり。絵柄の八割が牡丹に鳥(雀)だそうである。
トイレ、厠(かわや)は、「応接室」だと美術史の先生が言う。客を惹きつけ、勇気づけ、元気づけるため、染付古便器を設置している。見えないところまで「全方位の装飾」がなされたと説く。