水は枯れたけれど弁天様ご健在
浅間神社の東を走る県道(白井流山線)沿いに弁才天の祠がある。「俗ニ弁天様 厳島神社」という稚拙な標札がかがげられている。水はないが、その名残の堀に囲まれ、相応の樹木もあってまあまあの風情である。弁天様はヌードかも。そう思って中を覗くと(その前にお賽銭をあげて)、「辨財天」と刻まれた石碑がこちらをにらんでいる。
辨は弁の本字、昔は辨説も辨当も辨を使った。だから弁才天も辨財天が正解。ならば才の代わりに財とはなにゆえか。
弁才天は、もともとは古代インド神話の3大女神の1つ。サラスヴァティ河を神格化した土地の豊饒をもたらす河神、それが日本に入り、佛敵をつぶす護法神となり、学芸、福徳の神となり、さらに富貴の功徳が加えられ、庶民層に信仰が拡大した。かくて、弁才天は弁財天(すなわち辨財天)に移行した。
インド時代から琵琶を抱きかかえていた。鶴岡八幡宮や江ノ島のヌード弁天は、もちろん裸を見せるためではなく、鎌倉時代に流行した裸形像で、ほんものの着物を着せ、ほんものの琵琶をもたせた。奈良には地蔵の裸形像もあるから、道ばたの地蔵様によだれかけををかけるのも、そのバリエーションかも。
われらが弁天様は、池に鯉などたくさんいたが、太平洋戦争のとき、裏山の樹を切り出したため、水が出なくなったという記録が残されている。水は枯れたが名残の堀に囲まれ、インドの河神だった、かすかな面影はあるような。