大町桂月の文学館
大町桂月(明治2年ー大正14年)をご記憶だろうか。明治時代に500余編の紀行文を書き、美文・韻文でも一世を風靡した文章家である。「枯淡な文章で、しかもそこに潤いのあった山水描写は、気楽に、のびのびした気持ちで読めた」といわれ、日本の山水全部を紀行文に書くのが念願だったようである。
その桂月の掛け軸や著書など300点を蒐集した名戸ヶ谷の薮崎恒雄さん(写真)が、自宅の庭に12坪の土蔵風の「彌惣治文庫・文芸資料館」を建て公開している。
元禄時代に名戸ヶ谷は、薮崎彌惣治家、木村源五衛門家、木村作左衛門家の3分支配になっており、これが明治時代まで続いたという。薮崎さんは、白壁の塀に囲まれ長屋門を持つ彌惣治家の当主である。
桂月の長女の3男で、沼南町に住む友人と、袋田近くの旅館で桂月の掛け軸を見て琴線にピンと来るものがあり、それが蒐集のきっかけになった。
薮崎さんは、桂月を凄い人だといい、多くを語らないが、図書館にもほとんど著書はなく、紀行文も読めないのだから、ここ名戸ヶ谷の彌惣治家は、明治を偲ぶことの出来る稀有の場所といえるだろう。
昔の文人の書に接するのもいい。豪快にして流麗というべきか。「田舎教師」の田山花袋も並び称された紀行文家で、「いかにも天真流露」といっており、それは書にも当てはまるようである。全集や単行本の他に「中学世界」「文章世界」「新青年」などの雑誌も陳列されている。
資料館は、土、日の10時から3時に一般公開されている。