見れども見えず布施弁天
11月は12年に一度という布施弁天のご開帳だが、東海寺の内陣の開かれた厨子の中には、小さな黒っぽいものがあるようで、それが弁天様だという。しかし、数メートルほどの距離なのに、尊容はまったく分からない。弁天様は、高さ3寸ほどの荒削りの木造で、空海が彫刻し、大同2年(807年)に紅竜に乗って飛来したという。すごい歴史を秘め、平安時代から連綿と伝えられてきたことになる。お守りの16人の童子のいくつかは見ることができた。
お灯明をあげてお祈りし、500円納めていただいた南無大辯財天のお札で、その尊容を想像することにした。ご覧のように8本の腕がある八臂(はっぴ)で、8つの功徳があるという。
(1)知恵が付く (2)財福を得る (3)名声を得る (4)病気を除く (5)邪悪を排す (6)豊かな物心を持つ (7)思いやる心を育てる (8)幸せをつかむ、という功徳である。
弁天様はインド土着の神様、河川を神格化したもので、音楽、弁舌、知恵の神様だった。それが仏教に取り入れられ、8つの功徳を施す弁才天(弁財天とも)となったという。8つの功徳があれば、人間は万々歳である。これ以上の功徳を望むのは欲張りというものである。
ならば弁天様だけお祈りしていればいい、と納得できないのがわれわれ日本人で、おとり様にも行き、初詣もする。盤石の800万の神様に囲まれている。
布施弁天は、正しくは紅竜山東海寺という。参詣人も多くなった弁天様に布施村の東海寺が移転し、一体となった。楼門は弁天にちなんだ竜宮造りなのに、本堂は密教で内陣と外陣が区別され、内陣は暗黒の世界、そこの厨子に12年に一度の顔見せをする弁天様がいる。神仏混淆の世界である。