詩と俳句とエロチックと
夕方の 天気予報のお姉さんの乳房が気になる夏がやって来た
飯島耕一の詩集「アメリカ」。寂しい国アメリカ、と結ばれる詩の中の一行である。
凡人は、たちまち西東三鬼の
おそるべき君等の乳房夏来たる
を思い出す。さらに、真鍋呉夫の
花冷のちがふ乳房に逢ひにゆく
が浮かぶ。詩集を読むと心乱れて詩集とは別世界に紛れ込んでしまう。詩を観賞する資格(能力)に欠けているのである。やむをえない。
真鍋氏が「句集 雪女」で読売文学賞をもらったとき、それを記念して「真鍋呉夫書展」が開かれた。句集にサインをもらって、「ちがふ乳房」のことを聞こうと思った。しかし、女性フアンに囲まれた氏は、やっとサインしてくれただけで、近寄ることもできなかった。昂揚した女性たちの耳にも入ってしまう乳房論は聞けるはずもなかった。
それから歳月がひと回りし、真鍋氏は雑誌で旧友の阿川弘之氏と対談している。
阿川氏が、花冷の句に触れて、「人をびっくりさせるようなエロチックな句」と言う。
やっぱり、エロチックという認識なのか、と驚いた。飯島詩の「お姉さんの乳房」にも、「おそるべき乳房」にも、「花冷」にもエロチックというよりも人間そのものが、厳として存在している。