七輪(しちりん)は七厘である

 もうとっくに一般家庭から消えてしまった七輪の由来?が、野坂昭如『死刑長寿』の中の一編「子供は火事の子」に出てくる。
 孫が、三つ年下の妹のバースディケーキの蝋燭の火を、素手で掴みやけどをする。「虫でもつかむつもりで」と里帰り中の娘は言うが、祖父は納得できず、いまの「火のない生活」を考える。
 孫の父は煙草を吸わない。ライターの火を知らない。ガスもあるが、大体ヒートプレート、電子レンジ。仏壇はない、火鉢がない。蝋燭お線香ない、マッチ、七輪焚火もない。貧しさ、不幸の状態を、火の消えたようなと言われたが…。そこで、祖父は孫に火の教育を始める。
 祖父の昔話が、正確鮮明に出てくる。これは他の五編にも共通している。帯に「文壇最後のカリスマが、ここにいる」とあり、炸裂する妄想の到達点としているが、これが妄想か。あとがきで、「十四歳で焼きだされ、生きるための嘘が身についた。(中略)わが嘘に終りはない」というが。
 当方はタバコを吸わない。ライターの使い方を知らない。あるとき、立派な仏壇にライターで蝋燭への点火するよう渡された。ぐるりと取り囲んだ人の前で、ついにライターは火をつけてくれなかった。
 さまざまの事おもひ出す桜かな 芭蕉
 様々なことを思い出させる一冊である。ましてや、当方は野坂氏と同世代である。
 書き忘れた。七輪は、七厘の炭で、一食の煮炊きをまかなえるとされた命名という。