八木重吉の友だちになろう
八木重吉という詩人の詩碑が、柏市旭町の東葛飾高校のグラウンドわきにある。八木重吉の詩を愛好する会が昭和63年に建てたもので、重吉が大正14年から昭和2年まで、東葛飾中学の英語教師として赴任したことを記念したもの。東京生まれの詩人は、昭和2年に29歳、結核でこの世を去っているから、中学構内の教員住宅に住み、柏の自然に触れて、大半の詩が作られたようである。
中学の前に、3万坪の原っぱが広がっていたという。詩碑にはその原っぱが書きとめられた。
ずいぶん
ひろい原っぱだ
いっぽんのみちを
むしょうに
あるいてゆくと
こころが
うつくしくなって
ひとりごとをいうのが
うれしくなる
重吉の詩を「稚純」だといった人がいる。幼くて純粋、ということか。短く平明な詩なのである。だから物足りない感じもする。
存命中に発行されたのは、第一詩集「秋の瞳」だけである。
生前自選の第二詩集「貧しき信徒」は、昭和3年に刊行され、純粋なクリスチャンの信仰と、その家庭生活ぶりが同じクリスチャンの人気をえて、さらに大衆にも普及していった。
長女桃子に続き、長男陽二が生まれているが、2人とも14、5歳で結核で亡くなっている。残された妻とみ子は後になって高名な歌人吉野秀雄と再婚し、吉野が定本詩集をまとめている。
第一詩集の序文で、「私は、友が無くては、耐えられぬのです」といい、「詩のことばがしずかな空をたえまなくながれてくるようなきがする」とノートに記した重吉である。短かったが同じ柏の住民だったことは、なにかの縁、詩を読んで友になってあげよう。