自分史は自分のために書く

 ある新聞の歌壇に、こういう短歌が寄せられていた。

 自分史など他人の誰が読み呉るるかと妻言ふわれも左様に思ふ

 選者の言やよし。「誰のためでもない、自分のために書くのである」と。

 自分史文学賞というのがあるそうである。こうなると、だれかが読んでくれることになる。
 その文学賞に、知人が応募し四次審査まであり、その一次を通過したそうである。そこには有料のコメント・サービスがあり、それを受けたら詳細なアドバイスが戻ってきたという。本人は、我流に陥っていた私には、いい勉強のチャンスだったといっている。
 詳細なコメント・サービス文を見せてもらった。当世、大学にも創作科があるが、これほどの講評はできまいと思われ、しばし感嘆した。
 文章力、構成力、自分史としての形、文学性に及び総評で終わる。ただ、過ぎ来し方を記述しても、それは記録でしかない、失敗作と断定し、もう一度書き直すように勧告している。どっさりの各講評をどう理解するか、知人は難問を突きつけられたようにも思える。
 だれのためでもない、この世はすべて自分のためにある。