上手への大きな徒渉地

柏という地名はアイヌ語源で↑こういう意味

 「か・し・わ・い」に「柏井」と当て字した地名は、市川市を流れる真間川南岸にあり、愛知県にもある。これはアイヌ語源で、「上手(北方)への大きな徒渉地」という意味になる。その名付けられた時期は、海水面がいまより10メートルも高かった縄文海進期(6000~7000年前)で、後世になって「柏井」の「井」を省略したのが『柏』と推測される。

 風土記を作るように命じられた713年に、地名は漢字2字と要望され、「湾の渡し場」という意味の「うし・くし・い」の「い」を省略して『牛久』、「湾奥の浜」を意味する「あさむ・びし」の「あさむ」に「我孫」、「びし」に「子」を当て字して「びし」と読ませて「び」1字を節約したのに3文字になったのが『我孫子』地名となる。いずれもアイヌ語源である。

 これは、南逆井居住の地質学者・理博の木下浩二氏が説かれるところで、それぞれ異なる時代に中国大陸から来日した(1)藍田原人(ニグブン)(2)北京原人(アイヌ)、そして(3)倭人という3種族で古地名が構成されているという。木下氏は地名の語源を知ることによって、本当の日本の歴史が分かり、いままでとは違った歴史を教えてくれる。

 

字としての柏は 300年前から?

 柏という地名は、柏駅から近い曹洞宗・長全寺の観音菩薩像などの石像物に見え、1基には延宝3年(1675)とあるという。

 長全寺で、若い坊さんがさがしてくれ、多分これだろうという。残念ながら無縁仏扱いで、何基かが集められていて、これと思われるものの背中にブロック塀がピッチリくっついて立てられており、背中を読むことは出来ない。

 それ以前の金石文は見つかっていない。

 近世の柏村は、小金宿(いまの松戸市)と我孫子宿の中間にあって、水戸道の通過点に過ぎず、町場としての発展はみられなかったという。