昔の東京、眺めてみれば
千住のおばけ煙突、見る角度によって1-4本に見えた。浅草寺の五重塔は仁王門をくぐった右側にあった。銀座尾張町、服部時計店(和光)のはす向かいに松屋がない。そのあたりのビルにITOYAのでっかい看板、いまの伊東屋か。
田舎育ちで帝都といわれた東京には縁がなかったけれど、見ているうちに、既視感めいた思いにとらわれる。がっちりした、細部まで描き込まれている。
『小松崎茂/昭和の東京』(ちくま文庫)には、180枚のスケッチがまとめられ、同氏の弟子だった根本圭助氏(編者)の克明な解説が楽しめる。
浅草から始まり、隅田川、銀座、丸の内と続くが、橋の見える風景、失われし街角など。吾妻橋から出るポンポン蒸気がある。全航路五銭均一、終点は千住大橋。子どもをつれた着物姿のご婦人が待っている。やがて、ポンポンと蒸気船が来る。風俗史、と編者は言う。
60有余年の、小松崎茂画業の原点だが、その原点を素通りして、小松崎に近づいたことも、次回に語らなくてはならない…。