書の美しさ、楽しさ


 友人のところで初孫が生まれた。男の子である。祝宴を開くと言われ参加した。春の夜である。
 集まったのは近所の男4人。ただ、初孫は参加しない。嫁さんの実家にいるという。いい字で書かれた命名が貼ってある座敷で、おでん鍋をいただきながらの飲み会となった。いい字と言うだけでない。おばあちゃんになったばかりの、この家の奥様の筆である。書をされているとは知らなかった。
 初孫ができた実感がどんなものか。当方はとっくに忘れている。初孫が大きくなり、やがて手紙やメールが来る。おじいちゃん様、というのは仕方がない。それが「祖父様」とくるとギョッとする。俺も祖先の祖がつくようになったかと。
 祝いの席だからそんな体験は言わない。友人も漸次体験するはずである。
 一両日たって上のような書が届いた。
  ふるさとを訪ふもたまさかなりければ赤城の山よ顔な隠しそ
 確か当方が昔詠んだ歌である。浅草から東武鉄道の足利を過ぎると赤城山の威容が飛び込んでくる。天気が悪いと姿を隠す。それを友人の奥さんが書いてくれた。「赤城の山」が堂々と溌剌と。
 お孫さんも堂々と溌剌と、元気に育つはずである。