幕末期の儒学者
柏の偉人芳野金陵
柏市史に11ページにわたって解説され、「柏のむかし」(市史編さん委員会)では「まさに暗夜の星、光芒の一線として、郷土が誇り得る偉人」とまで絶賛されている芳野金陵(1802-1878)という人がいる。松ヶ崎出身の、幕末期の儒学者である。
墨書など40点を蒐集し公開
その芳野金陵の墨書、書簡、遺稿など40点を蒐集したのが名戸ヶ谷の藪崎恒雄さん。自宅の敷地に建てた「弥惣治文庫」で公開した。「市教委が何もやってくれないので、この偉人の資料を自分で蒐集した」と薮崎さんはいう。
金陵は享和2年(1802)、下総国相馬郡松ヶ崎で医業を営む芳野南山の第三子として生まれ、長じて江戸へ遊学、亀田鵬斎の子綾瀬の門を叩く。以後20年間、家塾を開く。弘化4年(1847)に駿河国田中藩主本多公の儒官となる。「旧弊を除き、新政を布く」など藩の活性化に励む。文久二年(1862)に幕府に抜擢され、昌平黌の儒官になる。新政府になり、再び昌平黌の教授になる。
ペリー提督率いる艦隊が浦賀に来航し、吉田松蔭らが死罪になる安政の大獄というあわただしい時代、金陵も建議に加わったという。退官後、「帰耕の時、地を大塚に購いて懇田に従事し、傍生徒を教え」77で病没している。
ここにも分厚な「金陵遺稿」があり、中央図書館でも読んでみたが、全部が漢文である。拾い読みすれば何となく意味の通じるところもある。掛軸を見ると、かなり書体が違っている。書体や字の美しさを儒学者は訴えているのだろうか。
七言律詩の頚聯(けいれん)からの2行らしいのを書き抜いた。
古琴弾罷風吹坐 山閣醒時月照林
古琴弾じ罷(や)めば風坐を吹き 山閣醒むるの時月林を照らす
古琴弾じ罷(や)めば風坐を吹き 山閣醒むるの時月林を照らす
巻石堂病院の先祖が、金陵の兄道斎(儒医)で、関係者で組織する金陵会がある。薮崎さんは、桂月・金陵に続いて、金陵の師・亀田鵬斎の資料の蒐集もしている。