百姓になっていた中学生

 機械が田植えをし、稲を刈り取ってゆく。この不思議を見飽きることがない。これが水稲を育て、米を主食とする大和民族なのか、信じられない思いで61年目の終戦記念日を迎えた。
 終戦時の田舎の中学3年生。秋の農繁期の2ヶ月を農家に泊まりこんで百姓をした。終戦年の春の農繁期も2ヶ月を農民になった。焼夷弾が納屋を焦がし、稲苗を苗代から運ぶ最中、グラマンが追いかけてくる。
 農繁期の4ヶ月を田んぼや畑で過ごせば、農業技術は体に染み付く。牛を使い、足踏み脱穀機を踏み、いっぱしの百姓になった。古典的な技術を完全に習得した。
 終戦で、百姓中学生は「民主主義」の大波に飲み込まれた。
 古典的農業は、心の中に生き続けた。田植え機に驚愕し、コンバインに唖然とする。まだ、勤労奉仕の中にたたずんでいる。

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