どこまでも、きみのともだち
友人の俳人の句に、
ひろすけの赤鬼泣く夜木の実降る
というのがある。濱田広介の名前は知っているが、その童話を読んだことがない。市の図書館で借り出して読んだ。「泣いた赤鬼」である。やさしい赤鬼は人間と付き合いたい。青鬼に相談する。青鬼は悪者になってあばれる、それを赤鬼が懲らしめる。人間と仲良くなった赤鬼が、ある日、青鬼を尋ねると、張り紙がある。私がいると、ばれてしまうから旅に出ると。どこまでも、きみのともだち、と。赤鬼は泣く。
絵がきれいな、童話よりも絵本である。親も子も、その絵がひきつける。
神田の古本まつりで、復刻版の、広介の『大将の銅像』を買ってきた。子どもが怖がりそうな絵が一枚、あとはぎっしり活字である。大正11年の発行で、藤村の序文がある。
親が手に取り、子に聞かせる、という本である。字の読めない子をひきつけるところがない。絵本という発想はなかったのだろうか。最後に「一本の棕櫚」というのがあり、ここには温室の絵があった。かながふってあるとはいえ、
あとには、鋸で挽き砕かれた木の屑と、
と難しい字が使われている。成人がいま読んでも漢字の勉強になりそうである。