馬頭観音の坂いまもけわしく


人も馬も道行きつかれ死ににけり旅寝かさなるほどのかそけさ

道に死ぬる馬は仏となりにけり。行きとどまらむ旅ならなくに

風化した石塔や石像が道路の傍に集められ、車の排気ガスを浴びているのが、近くでも見られるが、ここは安泰、まず車は通らない。廃道ではないけれど、自転車に乗ったままでは登れない坂道。ホッとするような時間が流れている。

馬頭観世音、右に明治31年とある。馬頭観世音菩薩は、畜生道を救済し、衆生の煩悩をむさぼり食うといわれ、馬頭を頭上に配置し、いきどうり怒った忿怒相をしている。しかし、桜木の下の、この石碑からはむしろ慈悲相の面影が浮かぶ。

最初の短歌二首は、釈迢空(折口信夫)のもの。民間伝承採訪の信州の旅で、「数多い馬塚の中に、ま新しい馬頭観音の石塔婆が立っているのは、あわれである」と前書きし、5首を残している。

疲れ死んだ馬は、観音菩薩となって弔われたのだろうか。しかし、馬頭観世音の石碑は、「馬だけにたよって荷物を運搬していた時代に、馬の安全を祈る本導として信仰されていた」(佐和隆研)ともいうから、当地の石碑は、お祈りの石碑と思いたい。

前ページで水源は消えたがコシヒカリ育つという話を書きましたが、栽培者の鈴木美郎さん(逆井)は、収穫は業者任せにしたようです。
もう歳だし、といっていました。