ここはミクニを何百里
ここは御国を何百里
離れて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下
「戦友」の一番。御国には「おくに」とかながふってある。これを「みくに」と、森繁が歌ったと言うことで、ミクニ論争が起きたことがあった。昭和30年代の初めである。テレビだったか、レコードだったか忘れた。森繁だったかもハッキリしない。森繁という記憶が強い。
1月8日に、NHKの18チャンネルで、「蔵出しビッグショー」という「新番組」を始めた。昔のビッグショー番組を蔵から出して見せてくれる。第一回が森繁の歌番組だった。若いなあ、森繁さん、いい女だったねえ、妍ナオコさん。
そこで、森繁が「戦友」を歌ってくれた。すわミクニ論争と、その昔に引き込まれたが、聞きそこなった。森繁さんは、歌の性質上低音である。軍歌だが軍歌らしくない。残念だったなあ。
ときのミクニ論争を引き起こした先輩の音楽記者に、お伺いしようと思ったが、ミクニとも、オクニとも分からなかったので聞きようもない。
「学校及家庭用言文一致叙事唱歌(三)」という文部省唱歌、明治38年制定。作詞の真下飛泉、作曲の三善和気ともに中学校の先生だった。最後の十四番。
筆の運びはつたないが
行燈のかげで親達の 行燈=あんど
読まるる心おもいやり
思わずおとす一雫 一雫=ひとしずく