「呑龍」という重爆撃機があった。
「パラオのアイライ飛行場から、占領されたサイパン飛行場を逆爆撃すべく早朝に、十九機の呑龍(どんりゅう=新鋭爆撃機)が飛び立ち、無事帰還を耳をすませて夕刻まで待ったが、漸く戻ってきたのは二機だけだった、……」
柏市には、「平和語り部の会」というのがある。市の平和展に参加するグループである。その会報を中央図書館で読んでいたとき、こういうところに出会った。筆者は川上三郎さんである。
呑龍という爆撃機は、群馬県太田の中島飛行機で制作された。近くに呑龍さまと言う寺院があり、それから名づけられた。小泉飛行場という中島飛行機の飛行場があった。
終戦で、その飛行場が無人になった。進駐軍はまだ来なかった。そこに呑龍が置き去りにされていた。中学生だった私たちは、その胴体の中を探検した。呑龍が飛び立ったのを見たことがなく、でかすぎて飛べないんだと思っていた。
川上さんの文章を読んで、そんなことはなく、活躍していたことを知った。陸軍の百式重爆撃機で、昭和16年ごろから800機が生産されたという記録もあった。
中学生が探検した「呑龍」はなんだったのか。進駐軍に接収されて再び探検は出来なくなっていた。