俳句とのコラボレーション


 俳句と絵、俳句と音楽のコラボレーションの話をしながら、吟行の作句こそ究極の(ありふれてはいるが)自然と魂のコラボレーションではないかというところに落ち着いた。
  柏市松葉町で50年も続いている句誌『冬草』の主宰をされていた高橋謙次郎さんが亡くなった。鎌倉の日本画家内藤範子さんと高橋さんが句と絵のコラボレーション展を銀座の清月堂画廊で開かれたことがある。高橋さんの句に内藤さんが絵を描き、内藤さんの絵に、高橋さんが句を書いた。
  昨年の10月には句に曲がつけられ、コンサートを開いた。数句ごとに作曲され、演奏の中で句が朗読される。それがCDとなり聞くことができる。CDを聞きながらいい雰囲気だな、と思った。
 
  話を聞いてくれるのは、50名を越す老人クラブの会員である。二人ほど俳人がいる。そのうち究極のコラボレーションは、吟行ではないかと思いついたというスローな話を聞かせることになった。
  吟行は、一人で句をひねり出すわけではないはずだ。自然・景物と一体となって成果がでるのだろう。句を読むだけの男はそう考えた。やはり、いまごろ何を言うんだと言われるか。そうかもしれない。絵にも音楽にも、それぞれの趣があり楽しい、楽しませてもらった。 
  故人にお礼をいわなくてはならない。句集『あとの月日』をいただいただけで、いつもすれ違いばかりだった。

  絵は内藤範子さん。高橋さんの句はこうである。
   鉄塔に寄れば水の香十三夜

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