竹川弘太郎『始皇帝暗殺【小説】壮士荊軻伝』
献上する土地の地図を政(のちの始皇帝)が見る。地図のなかには匕首が隠されている。燕の国の正使の荊軻(けいか)が、その匕首を取って政に躍りかかる。長剣を帯びた政はとっさには抜けない。逃げる政、空を切る匕首。
扉の外には武器を手にした500人の衛士、玉座の背面には100人の重臣たち。副使は、その重圧に押され座り込んでしまった。『小説 壮士荊軻伝』は、このクライマックスまでに、ほぼ3分の2ほどを費やし盛り上げ、手に汗を握る。
「真に世を憂い、義のためには死を恐れぬ胆力がありながら、人に対する優しさと憐れみを忘れない」という男が壮士荊軻である。戦乱の時代、秦、楚、斉、魏、趙、韓、燕の7国がしのぎを削っている。秦の、残忍な政が着々と勢力を伸ばしている。その秦に対抗するためには、6国が合従するよりほかはない。それが荊軻の夢である。
秦の人質から逃亡してきた燕の国の太子丹は、政の暗殺を計画し、その人を見つける。その人は、荊軻に暗殺計画を話し、自ら首を刎ねて励ます。周到な計画だったが政暗殺は未遂に終わり、荊軻の死体は車裂の刑を受けた。
荊軻のいた町の住民は皆殺しにされ、燕に大軍が襲来し、やがて政・始皇帝が全中国を制圧する。
終章がある。荊軻の友人で、流しの筑芸人だった高漸離(こうぜんり)はおちぶれ、商家の使用人になっている。思いがけぬことから筑の名手であることが知られ、後宮の政の前で、その楽を演ずるようになった。邸と宮女を与えられる。
しかし、「これぞ荊軻どんの仇」、復讐の念が盛り上がるのだった。二つの暗殺劇の世界を竹川弘太郎さんは読ませてくれる。その博識な古代中国の世界を。
端木叔(たんぼくしゅく)がちらっと出てくる。『裸木』(2004)の「子貢の末裔」の端木叔だ。また、懐かしいコオロギが鳴く。『蟋蟀の郷』(2002)を竹川さんは思い出しているのだろう。コオロギは、key wordである。終章に鳴かせてくれなかったけれど。
竹川弘太郎さんの『始皇帝暗殺【小説】壮士荊軻伝』は、
世界文化社発行(4月5日初版)定価;本体857円+税