京都のお菓子で勉強した
京都のものらしいお菓子をもらった。手提げになっている袋に短歌が書かれている。流れるごとき絶妙な水茎の跡である。解読できない。意地悪く、呉れた人に尋ねる。分かるはずうがないよという。
あふことハ
雲井はるかに
までは読める。逢う、雲井、とあれは相聞である。万葉集ではない。とすれば古今和歌集である。幸い手元にある。「あふことは」で一発で出る。貫之である。
逢ふことは雲井はるかになる神のをとにきゝつゝ恋ひわたるかな
なる神、でひっかかる。鳴る神の音である。岩波版の解釈を拝借する。
逢うことは、雲がはるかになるように到底手が届かず、遠く鳴り響く雷を聞くように、遠い噂に聞いては、恋い続けることです。
万葉集十一に「天雲の八重雲隠り鳴る神の音のみにやも聞きわたりなむ」が紹介されている。本歌取りですか。上三句は序詞。折口信夫の解釈を読ませていただいた。
いとしい人と会ひもせないでいて、幾重にも重なった雲の上で、遠く鳴って居る雷のように、音許りを聞いて、実際には逢わないで、続けてをらねばならんか。