伴侶はルソーの『孤独な散歩者』
同年の文芸評論家がこう書いている。
青年期を過ぎると、わたしは、『プルターク英雄伝』を、よく読むようになった。ベートーベンもルソーもよく読んでいて、要するに、人生の伴侶だった、と。
英雄伝の至る処で鳴っているのは、「運命」という音調である、という。翻って、今日では、運命という音調はあまり鮮烈には響かない、と。
私が気になっているのは人生の伴侶という書物である。若いころはいつか読む機会があるだろうと、全集などを、いろいろ買い込んだ。今頃になってチラチラ拾い読みすることはあるが、ついに人生の伴侶はこれです、というものがない。
あれもよし、これもよしで手を広げすぎる。理解する能力をとっくに超えているのである。落ち着きがないのである。無念だが、そういう人生だから、運命という音調を聞き逃した。逃げられた。寂しい話である。
晩年の伴侶を探すのには遅すぎる。とりあえずルソーの『孤独な散歩者の夢想』になるのだろう。わき見をしながらの…。