両親の苦。夫の苦。娘の苦。私の苦。
老いどころの話ではなくなりました。子どもが危機です。/しのびないのは子どもの苦。/自分の身にふりかかる苦は。/あさましい暗闇をひとりでのたうちまわっておれば、やがて抜けていくのです。/親の身にふりかかる死の苦は。/粛々と受けとめていくしかありません。/しかし子どもの苦はちがいます。/あどけない笑い顔をはっきり覚えています。…
熊本にそれぞれ入院している父と母を持ち、カリフォルニアには老いたユダヤ人の夫、飛行機で行ったりきたりする生活。留学中の上の娘が「少しずつ傾き」泣き声の電話をかけてくる。下の娘と3人で厳寒の、人一人いないセコイア公園の巨木に会いに行く。娘二人は橇ですべり、叫び笑う。
生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる、生きてる。
伊藤比呂美の連続長編詩「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」を読み終わる。掲載された「群像」15冊を積んだまま。両親の病状、夫の病気、そして自分の病気。はらはら、その壮絶さに驚きあきれる。ちりばめられた引用文が楽しい。楽しいけれど、われわれとはかけ離れた生活ながら、しみじみと警告を発している。どこにでもある苦境なのだ。力強く、それを教えている。