明治末年の金銭・日記帳を眺める
市原市寺谷は、その昔千葉県市原郡戸田村だったそうだ。そこの大鐘家と言う大百姓があったという。その孫娘(だと思う)が、写真のような明治45年の金銭日記帳を見せてくれた。金銭と日記帳の間にある文字さえ解読できないのだから、克明な、見事な筆遣いの日記本文も読めない。ところどころの単語を読んで類推する。
なにを類推するかといえば、明治時代の戸田村の農村風景であり、そこで実直な農業を営んでいた人々のことである。
明治45年は明治天皇の崩御の年、葬儀の年である。そんなことは昭和男の記憶にはなかった。9月12日を眺めていて、天皇葬儀、休業 とあった。簡単明瞭である。感想は前後に1行もない。
15日になって、すらすら読める1行があってほっとする。
降雨ノ為 一日草履造り、七足造り
16日にも、雨は三時にやんだが草履造り、とある。主人自ら履き物まで作った。休みもなく働いていたのだろう。
金銭帳だから銭という文字がしきりに出るが、対象物が不確かである。
広い田んぼ、広い畑、森や山、流れる川の明治を偲ぶ。
こういう資料は箱いっぱいに残っているという。かつての村の知者がいないのだろうか。残念である。また頼んで借りてきてもいいけれど、しょせんは拾い読みであるし…。とりあえず、デジカメで撮り、スキャナーで入れたものを眺めるばかりである。