終戦の日、俺は何をしていたんだ

  8月15日、終戦の日。その日、何をしていたか。記憶がまったくない。
 友人に広島の被爆者がいる。7月に広島に帰って次兄に被爆体験を聞いてきた。本人は4歳、兄は中学2年生、市内の建物を整理する勤労奉仕中、B29から落下傘が落ちてきたのを目撃、続いてマグネシュウムのような爆発を浴びたという。俺と同い年だなあと実感した。
 同い年の俺は何をしていたんだ。分からない。8月6日も分からない。7月末ごろまでだったか、農家に宿泊の勤労奉仕をしていた。群馬の田植えは麦を刈ってだから7月になる。やっと田植えが終わった頃、農村にもグラマンが飛来するようになり、B29の焼夷弾が落とされるようになって勤労奉仕は中止になった。
 学校に戻っても夏休みだったのだろうか。3年生以上の上級生は工場動員が続いていたはずだ。新型爆弾というのを聞いた記憶はある。しかし定かではない。8月いっぱいの記憶がない。原爆も終戦もない。
 次兄の被爆記を黙って聞いた。妹の兄への思いがこもっている。聞きながらどうも切ない。俺はどうしていた! そして64回目の終戦の日が来た。