「かごめ」は野田の唄!?
昭和初期に小学校の先生が採譜していた
岩波書店の『わらべうた』(1983年・初版)には譜面とともに、こう書いてある。野田だって。そんなことはないよ。子どものとき、皆で歌ったよ。だれも、そう思うに違いない。解説は続く。
関東地方を中心に全国に分布し、歌詞 も曲折も大同小異であるが、・・・
それなら野田を特定することはないようだが、昭和初期に野田の小学校の先生だった山中直治(1937年、31歳で死去)が採譜していたので、野田地方の唄とされた。その作曲家山中の存在が野田市で復活したのは最近のことである。
童謡はわざうた、わざわいの前兆
古事記の崇神天皇の項に、なぞめいた歌をうたう少女が出てくるが、日本書紀では、童謡(ワザウタ)と言う言葉が出てくる。「人事を風刺し、時の異変の前兆などを暗にうたう歌」を意味した。蘇我臣入鹿が山背王を誅するときに、意味不明の童謡が歌われたのが最初である(巻24)。
意味不明で、ワザワイをもたらす歌、その代表が「かごめかごめ」とされている。
もと歌は、江戸のわらべ唄を集めた本で、終りの「後ろの正面」が「なべのなべのそこぬけ、そこぬいてたァもれ」となっている。
ぐるぐる回り神が口寄せした
民俗学者の柳田国男は、「かごめを鳥のようにも考えられているが、屈め屈めの転訛で、この中心の一人は小仏であり地蔵である」という。ぐるぐる回っているうち、地蔵が乗り移り託宣する、つまり神の口寄せが起源とする。
輪遊びではなく、くぐり遊びだったという説がある。二人が向かいあって両手を取り、歌い終わると手を上げ、かがんでいた子が飛び出し、他の子と入れ替わる。それが原型で、小仏も地蔵もなかった、という。