祈りながら書き継がれる小説

  金光教(こんこうきょう)に入信している友人がいる。何年か前に、その金光教の信者である、作家の小川洋子の講演の載った新聞を送ってくれた。それを読んで、信者の中に生まれ育った彼女の、素直な信者生活を教えられた。それ以来、友人に私の思いを言わなければならないような気分が溜まり続けていた。
 本を整理していたら、平成11年に出たエッセイ集の『深き心の底より』が出てきた。図書館から貰った本のようである。その6章が「神の存在を感じるとき」となっていて、文芸誌に載せた短文がまとまられていた。
 金光教は、1859年、46歳で農業をやめ、信仰生活に入った赤沢文治の始めた宗教である。家族の支援も得られず、難儀な信者の傍らに寄り添おうとした。「現在も神と人との間で絶え間ない問いかけと応答が繰り返されている。金光教は、神と人間の関係を生み出してゆく宗教であると言われている。そして、その関係が、いまだ完成されていないと考える」
 学生時代に「教祖の残した言葉に触れれば触れるほど、金光教を捨て去るのは不可能だと気づいた。わざわざそんなことをする必要などない、と言う表現の方が適切だろうか」
 「苛酷な苦行によってさえ得られない奇跡が、言葉の中に潜んでいる。だからこそ私は、祈りながら小説を書くのだ」
 小川洋子の小説には、奇妙奇天烈、残酷なものは出てこない。素直な進行である。祈りながら書くものに、読者(信者)は、黙ってついてゆく。