でかい石はなんだ

この力石で力比べやんべえ

力石があるそうですが、と観音寺のおばあさん(和尚さんの母上)に聞いたら、南増尾の、どこかの神社に運んだ、と言う。見当はついていた。南増尾に「小鳥の森」という市の公園がある。うっそうとした森になっているが、小鳥を見たことがなく、鳴き声を聞いたこともない。その一角に八幡神社がある。力石はそこにあるだろう。

予想は当たった。薄暗く人影がない。本殿には煌煌と裸電球がともっていた。まず参拝する。南増尾一帯の氏神、京都岩清水八幡宮より勧請、400~500年前に鎮座したそうである。力石の由来が書いてある。当地に元禄の時代から五個の力石があり、地元嘉右衛門宅の氏神様と共に、祀られてあったという。平成3年の建立である。

民話の観音寺と話が違う。おばあさんの兄上を訪ね話を聞いた。

かごめ碑

奥の右端が16貫、米俵と同じで手ごろだったよ

嘉右衛門は、碑文を書いた小川辰雄氏の屋号で、かいむと呼ばれていたそうな。向こう側右端の石が十六貫、ちょうど米俵の重さで力だめしには絶好だったという。その左隣と手前右側には30貫と彫られている。

昔、木挽き職人で力持ちがいたそうな。縒った手ぬぐいを使って持ち上げたと言う。木挽きさんは大きいノコギリで、大きい木を切る。昔は逆井にも大木があったよ。

野田市には77個の力石があると言う。調査し、写真を撮っている(「房総の石仏」14号)。

野田の上花輪歴史館には、醤油を搾り出すときに使う石が展示されており、力だめしになりそうなものばかりだ。「房総の石仏」誌では、力石№1として東金野井・八幡宮の五十二貫(文化11年)を紹介している。

持ち上げられたのだろうか。

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