私には速読ができない
村上春樹の「IQ84」3巻が発売された日、NHKでは、女性の速読の妙技を見せてくれた。ページがすらすらとひもどかれていく。こういうパフォーマンスにお目めにかかったことはないので仰天する。
しかし、速読の技術も意義にも疎いので、おれもやるぞという気にはなれない。読書百遍、意自ずから通ず、という古典的な法則を順守している。
用事があって、「赤毛のアン」3の「アンの愛情」(掛川恭子訳)を読んでいるが、こういう言葉が出てきた。
アンは骨身おしまず勉強した。
結構である。アンは一生懸命に勉強したのだから。しかし、どこかがおかしい気がする。日本語としては、「骨身惜しまず働いた」というべきで、「勉強」にはそぐわないのではないか。
そんな思いにつまずいていては、速読どころではない。それに恐るべきは、意味が納得できず、2,3行は目で追っているだけのことがある。ますます速読とは縁の遠い衆生なのである。
あのページめくりの、さわやかに早い速読者は、読後感をすぐ言い伝え、原稿にすることができるのだろうか。容易にできるに違いない。
速読向きの天才と、よたよた読み続ける読者は厳存するということか。
読書は、繰り返し、繰り返して読みたいものである。