天女悲しや

浅間神社祭り

ダイエットなさいませんと、空から落ちてしまうのではないかな。透かし彫りの天女さまを見上げたのは、平成14年、午年の春、逆井の観音寺・観音堂です。厨子の中の十一面観音さまを拝ませていただき、次の午年、平成26年にならないと拝めぬ秘仏なのを知りました。せめて天女さまだけ、記憶の底から出ていただき、天女にまつわる話を。

逆井・観音寺の観音堂

なぜ、天女悲しやなのか、その前に、天女をお借りした観音寺のことです。観音寺は文字通りならば、ご本尊は観音様だと思われますが、不動明王です。本堂を覗くと、憤怒の不動様ににらまれます。

5月の連休には、東葛印旛大師組合の69番札所になっている送り大師でにぎわいますが、観音堂も、下総三十三ヶ所観音の23番札所でした。現在は行われていないようです。

さて、悲しき天女の話です。和銅六年(713年)、これは「古事記」ができた翌年、官命で各地の「風土記」が書かれました。天女の羽衣伝説が出てきますが、悲しい話ばかりです。

終りよけれど、災難の天女たち
外宮の祭神も天女だった

三保の松原で羽衣を見つけた漁師は羽衣を返さず、天女はやむなく漁師の妻になります。その後、羽衣を探し出し天に帰っています。よかったねえ。

丹後の比治の里の山頂に、湧き水があり、天女が八人、水浴びをしていた。ある老夫婦が一人の羽衣を隠した。天女は「身は水に隠して、独りはじをりき」。老夫婦が、うちの娘になってくれといい、十年余りを一緒に過ごした。

「天女、善く酒を醸(か)み為りき」

天女は酒を造った。一杯飲めば病気は治り、これで老夫婦は大金持ちになる。ところが老夫婦は、お前はうちの娘ではない、出て行け! と言い出す。天女は嘆き,空を見上げ、

天の原ふりさけ見れば霞立ち
家路まどひて行方知らずも

と歌って、あちこち放浪し、奈具の村に落ち着いた。天女は、ここの奈具社に祀られていますが、のちに伊勢神宮の外宮の祭神、豊宇気昆売神(とようけひめのかみ)になっています。

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