被曝のとき、私は9ヶ月の胎児だった


    千葉県我孫子市では、A4版で300ページをこえる『我孫子から発信 平和への祈り』を発行した。「戦後65周年記念誌」である。星野順一郎市長の「不戦の誓い」を筆頭に、平和祈念文集(一般の部、小学生・中学生の部)となっている。

 短歌・俳句の部から三首。
○ 息絶えし弟を背に荼毘を待つ少年ありき被爆長崎
○ 壕の上わが身おほひて座りたる爆風耐へし母を思へり
○ われ抱へ防空壕に走り行く母の恐き目いまに忘れず
 
 市内にある6中学校から1名ずつの代表が広島・長崎市の平和記念式典に参加する。その体験文集もまとめられている。
「原爆資料館の映像を含む資料は想像をを絶するものでした。自分は何も知らないことに気づきました」と書く。学校で報告会を開くという。

 市民文集からひとつ要点を抜書きする。
 9ヶ月の胎児のとき長崎で被曝した。中学生まで住んでいた長崎に職場の仲間と行ったとき、「長崎原爆資料館」に入ることができなかった。私は何も知らないのだから、生まれる前のことだから、何も恐れることはないのだ、と自分に言い聞かせる。いつか長崎までの長旅に耐えられたなら、資料館に行き、私の命に刻み込まれた恐怖と向い合いたい。