我孫子市から発信
平和への祈り

戦後六十五周年記念誌

  • グラマンやP51を邀撃(ようげき)するため、タコツボを掘り、その中心に五~六寸角の柱を据える。銃の台座である。そこに航空機用の20ミリ機関砲や8ミリの旋回機関銃を置く。それでP51を迎え撃つ。敵機は直ちに旋回反撃してくる。そのとき、タコツボの底に這いつくばる。それで戦死者が出た。浜松飛行隊の話だという。
  • 9ヶ月の胎児のとき長崎で被曝した。中学生まで住んでいた長崎に職場の仲間と行ったとき、「長崎原爆資料館」に入ることができなかった。いつか長崎までの長旅に耐えられたなら、資料館に行き、私の命に刻み込まれた恐怖と向い合いたい。

戦争体験から得た平和への願いを残す

A4版で300ページをこえる『平和への祈り』は、星野順一郎市長の「不戦の誓い」を筆頭に、平和祈念文集(一般の部、小学生・中学生の部)となっている。上掲のタコツボと長崎原爆資料館ほ市民から寄せられた47の戦争体験からである。

短歌・俳句の部から三首。

  • 息絶えし弟を背に荼毘を待つ少年ありき被爆長崎
  • 壕の上わが身おほひて座りたる爆風耐へし母を思へり
  • われ抱へ防空壕に走り行く母の恐き目いまに忘れず

市内にある6中学校から1名ずつの代表が広島・長崎市の平和記念式典に参加する。その体験文集もまとめられている。

「原爆資料館の映像を含む資料は想像をを絶するものでした。自分は何も知らないことに気づきました」と書く。学校で報告会を開くという。

平和への祈り~子どもたちの太平洋戦争~

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