まだあるだろう、塩鮭の切り身
町内の魚屋から女房が塩鮭を一切れ買ってきた。店には出していない、ある顧客のための塩鮭だと言う。これが大の好物である。慎重に焼き、ほぐして白飯のおかずとする。
塩分取りすぎの恐れは十分にあるが、とにかく勘弁してもらう。
たちまち思うことは、その昔の、新鮮な魚類の手に入らない群馬の田舎の生活。ほぐして弁当の上にばら撒く。これは上等の弁当だったろう。たぶんたくあんなどがおかずだったに違いない。
それでもたぶん数千円はするだろう塩鮭にまで思いが行かなかったのは、この世の中が食文化で、にぎやかに氾濫しているためだろう。贅沢な民族になったものである。そう思いながら、ちびちびほぐしながら、もう一週間ほどを楽しんでいる。
まだあるだろう、魚屋のおじさんに頼めば出してくれるだろう、と思っている。