多羅葉(たらよう)に書いた手紙
ご健在の小学校の恩師から右のような「多羅葉に書いた三通」の手紙が来た。紙のない時代の「手紙」の再現である。絵手紙など、手紙の書き方を小学生に教えている先生手作りのサンプルである。孫のインターハイに、前橋の県立スポーツセンターに行き、多羅葉を見つけ、それに書き送って来た。
しかし、先生! これは多羅葉ではありませんよ、葉の縁に鋸歯がありません。そこで昔の小学生の多羅葉探しが始まった。
平成9年に「葉書の木」が生まれた
小学校二校、南部公園、それに逆井・観音寺などの全樹木を同定し、名札をつけた、町内の疋田久雄さんに、多羅葉のありそうな場所を聞いたが、当地にはないらしいことが分かった。
その多羅葉の木が、東京駅丸の内にある東京中央郵便局に対となって育っていると言う。梅雨の合間に出かけ、教育的見地?から、ちょっといただいてきた。
平成九年に多羅葉は、郵便の木ということになり、大きな郵便局には植えられた。硬い葉である。字や絵が描けるから字書芝、絵描柴とも呼ばれ、戦国時代の武士たちが、これに便りを書いた。これが葉書の語源と言われている。
仏教がらみの名前
それにしても多羅葉というのは難しい名前ではないか。優しさがない。古代インドで写経に使ったのがヤシ科の貝多羅=ばいたら、サンスクリット語で葉の音写だという。日本ではそれになぞらえてモチノキ科の、字の書ける葉の木を多羅葉としたもの。材は細工物に使い、樹皮からはモチを取る。
先生の手紙によると、上毛新聞社では、千葉大の寺井正憲教授の教材で、「手紙を書こう」教育プロジェクトが発足したそうだ。賛同した先生の「多羅葉レター」だったのである。
絵手紙や河原の小石に水引をかけたペーパーウエイトなどが届く。せっせと返事を書かざるを得ない。ワープロは厳禁である。手紙は肉筆で書きなさいという。そういうことを言ってくれる人は、いまどきいない。