孤高の高島野十郎展

没後30年 高島野十郎展
三鷹市美術ギャラリーのパンフレットから
(上)(左)絡子(らくす)をかけたる自画像(大正9年)(右)イタリヤの海 キオッジア漁村(昭和5-8年)
(中)(左)すいれんの池(昭和24年) (右)流(昭和32年)
(下)(左)太陽 (昭和50年) (右)菜の花(昭和40年)
なお、パンフレットには、満月(昭和38年)、柿(昭和37年)、雨 法隆寺塔(昭和40年)、蝋燭(昭和9年)が掲載されている。

孤高の高島野十郎展

三鷹市美術ギャラリーで没後30年展

同人雑誌の友人に、三鷹で高島野十郎展をやっているよ、といわれて出かけた。増尾に電気も水道もガスもないアトリエを建て、絵を描き続け、昭和50年に野田の特別養護老人ホームで亡くなった。柏市にゆかりの深い画家であり、平成12年には郷土作家展として柏市民ギャラリーに、69点を展覧している。

昨年12月に、生地に近い福岡県立美術館で、没後30年の回顧展を開催、百点が公開され、三鷹にも6月10日ー7月17日の巡回となった。

孤高の画家、というのは郷土作家展のタイトルだが、「写実にかけた孤独の画境」の方がいい。

増尾にアトリエを建て、パラダイスだよ

本名・弥寿(やじゅ)、明治23年生まれ。福岡の酒造業の四男。東京帝国大学農学部の水産学科を主席で卒業、恩賜の銀時計を辞退したという。以後、独学で絵を描く。

三鷹での百点を見る。生前、ついに無名で過ぎた画家に光を当てた人が福岡県立美術館にいた。おかげで、その足跡を心おきなくたどれる。

克明な写実、目に見えるものすべてに等しく眼差しを注ぐ。それが「慈悲」だという。「慈悲としての写実」とされる。

増尾のアトリエに井戸を掘った。水道水は飲まない。訪ねた姪に、ここはパラダイスだといったという。ここで月と太陽と蝋燭の炎を描いた。柏の郷土画家である。

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