寺で始まった小学校
見てくれ、おふくろの卒業証書が出てきたんだ
「おふくろの小学校の卒業證書が出てきたんだ」と言って見せられたのがこの證書(写真)。近くの、おふくろさんの生家で見つかったそうだ。同じ逆井の農家同士、日暮から日暮への嫁入り。それも200メートルとは離れていない。
この増尾尋常高等小学校は、いまの土小学校のところにあったわけだがら、生家からの通学距離としては、ちょっと遠かったか。しかし、酒井根などかなりの距離を、ここに通った子どもたちも多かった。
明治25年に増尾尋常高等小学校に統合
戸張、柏、高田、松ヶ崎、篠篭田の村々が合併して出来た千代田村誌によれば、「暑熱、寒風の際片道一時間余に及ぶ通学は、児童にとって誠に苦痛なる事なり」と言っているが、増尾小の児童にとっても同じことだったろう。
増尾村では、明治5年に、増尾満福寺を仮校舎として小学校が設置された。7年には逆井観音寺に逆井校が出来ている。行念寺には新宿校があり、この3校が25年に合併し、寺院から離れて増尾尋常高等小学校が誕生する。
このときは、すでに増尾、名戸ヶ谷、藤心、逆井等11の村が合併し土村となっており、同校が土尋常高等小学校となるのは昭和2年のことになる。
増尾尋常高等小学校設立時の生徒数は、四年制の尋常科137名(うち女子31名)、三年制の高等科58名(うち女子6名)で、女子が少ないのは、子守に代表される家庭内の役割をになっていたためとされている。
授業料はただではなかった。尋常科は1ヶ月金10銭、高等科は25銭を徴収している。船戸小学校では年額6円2銭という。原則として、地域住民が負担し、政府の扶助委託金は村費の1割にも満たなかったようである。