故郷へ廻る六部は気の弱り

法華経を日本六十六国に収めて廻る巡礼・六部がいた

藤沢周平に『ふるさとへ廻る六部は』というエッセイ集がある。「ふるさとへ廻る六部は気の弱り」という古川柳が出典だが、六部の説明はない。生活の利便さということで、故郷の風景は乾き、いびつなものに変わる、故郷喪失の落胆に気の弱りを覚える六部とは、作家本人のことである。

六部とは13世紀ごろから法華経奉納のため、日本66国を巡礼していた六十六部廻国巡礼聖のこと。その珍しい浮き彫りの六部像が高柳に建っている。それも300年の星霜を立ち続けている。

故郷が近くなったり、ふと故郷を思えば、気が弱くなる六部もいた

華経を書写し、それを日本全国66か国を巡礼し、一国一か所に収めて廻る宗教者を六十六部廻国聖という。六十六部、または六部とも呼んだ。

中世には専業宗教者が一般的だったが、山伏などと区別もつかない場合もあり、近世になると俗人の廻国巡礼も見られたという。

巡礼の六部に宿を提供するのは善事とされたが、泊めた六部の持っていた金品に目がくらんで、「六部殺し」が起きる。この伝承が全国に分布している。

巡礼中、ふと故郷を思えば、気の弱りを覚える廻国聖は川柳にも詠まれた。それは人の故郷への思いに通じた。

奉納大乗妙典六十六部日本廻国塔

奉納大乗妙典六十六部日本廻国塔

柏市の高柳障害福祉センターの敷地内にある六部姿を浮き彫りにした奉納大乗妙典六十六部日本廻国塔。正徳四甲午歳十月十日と判読できる日付がある。錫杖を持ち、笈を背負っているけれど、うつむき加減である。六十六国に法華経を奉納した喜びは見られない。ここまでやってきて行き倒れになったのを哀れに思った地元有志が建てたのではないか。300年も昔の塔に思いは飛ぶ。